瑞葉 / Mizuha
2020.06.27( 更新日 2020.06.27 )
2歳からバレエを始め、コンクール優勝歴多数、海外留学を経て世界4ヶ国にてバレエカンパニーツアーに参加、現在National Ballet of Irelandプリンシパルダンサーを務める柳生涼子さん。今回は活動の背景や、なかなか聞けない本音や裏話を聞いてみました。
大阪府出身。2歳の時に辻本芳子バレエスクールでバレエを始める。法村友井バレエ学校を経て、神戸全国洋舞コンクールにて2度1位を受賞、ローザンヌ国際バレエコンクールにてセミファイナリストに選出された経験を持つ。高校卒業後、バレエ留学のためオーストリアへ。National Ballet of Ireland(アイルランド)Peter Schaufuss Ballet, New English Ballet Theatre(イギリス), Pasodos Dance Company(スペイン)に所属し、プリンシパル、ソリストとして舞台に出演。現在、National Ballet of Irelandに所属、プリンシパルダンサーとして活動中。
―― バレエを始めたきっかけを教えてください
3歳になる前に、母のススメで2歳上のお姉ちゃんと辻本芳子バレエスクールに行ったのがきっかけですね。地元にあったスクールで、小学校5年生頃まで通っていました。
―― お姉さんもバレエをされていたんですね
そうなんです。でも、姉は中学生になる頃にはお勉強で忙しくなって辞めてしまったんですけど。私はレッスン量や舞台数をもっと増やしたくて、留学するまで法村友井バレエに行ってました。
―― なるほど! バレエ留学をされてたのはその頃ですね
はいそうです。元々留学には憧れがあって、高校卒業のタイミングでイギリスへ行けたらいいなと思ってました。
―― 確か留学先はオーストリアでしたよね?
はい、当初はバレエの留学ガイドを見たり、ローザンヌに出させていただいた事もあって、イギリスのロイヤル・バレエ学校に行きたかったんです。でも、なかなかそれも難しくて。
オーストリア(ウィーン)を見つけた時、しっくりはきてなかったんですけど、国の雰囲気が気に入って決めました。
―― そうだったんですね! 留学許可までのプロセスはどんな感じでしたか?
まず入学試験はビデオ審査だったので、バリエーションのビデオを送りました。ありがたいことに合格通知をいただいたので、すぐに留学を決めました。VISAは現地で友人に手伝ってもらって取りましたね。
―― 順調に留学の道へ進まれたんですね、すごいなぁ。留学先ではどうでしたか?
留学先はウィーンコンセルヴァトワールっていうバレエ学校だったんですけど、年齢的に最終学年の年だったので、1年間お世話になりました。
―― 1年間を終えてからの道は、ある程度決まっていたんでしょうか?
いえいえ、特に何か用意されているわけではないので、あとは自分次第でした。私の場合はとある機会に恵まれまして。
コンセルヴァトワールでお世話になった先生のお友達が、ロンドンのカンパニーの監督さんだったんですけど、1度自分の踊りを見てもらえる機会があったんです。
この幸運な機会が、イギリス内でツアーをしているカンパニー(ヴィエナ・フェスティヴァル・バレエ団)所属につながって、2年ほど活動させていただきました。
―― イギリス内を色々回ってツアーをされたということですか?
そうです。2ヶ月で72回公演ぐらいある短期間契約でした。
―― 2ヶ月で72回! それってハード過ぎません!?
もう時間感覚が異常でしたね。今思うと、若かったから何とかなったんだと思います。
短期契約なので、契約終了までに雑誌とかでオーディション情報を見つけて、次の契約を漕ぎ着けてました。でもシーズンごとに区切られているだけで、何回でもチャレンジはできるんですけどね!
―― なるほどです。他にも何カ国かで活動されて、最終的にアイルランドのカンパニーに所属を決めた理由を教えてください
それもオーディションだったんですけど、イギリスのカンパニーよりも公演数とか色んな条件が、自分のライフスタイルに合ったので決めました。
―― 失礼を承知のうえでズバリお聞きしますが、ギャランティーもよかったですか?
そうですね、お給与の面はイギリスのカンパニー同様で週給制の固定給だったんですけど、十分生活はできてました。
でもオーディション雑誌には、日本の求人雑誌みたいにこの辺り一切載っていなくて、合格通知がきて契約書面で初めて知る感じです。
実を言うと、アイルランドのカンパニーの方がお給与は良かったです。イギリスでは、リハーサルと本番で金額が違ったんですけど、アイルランドでは同じ金額だったので。
―― 貴重なマル秘エピソードありがとうございます! 話は変わりまして、コロナウイルスで大変な事になりましたが、活動への影響を聞かせてもらえますか?
2月中旬頃のアイルランドは、まだ感染者数1、2人だったんです。それでもほどなくして、リハーサルをしていたスタジオには除菌ジェルが置いてあったり、カフェではキープカップが禁止になってましたね。
そろそろ危ないかなと思ってはいたんですが、本番も迫っていたので、リハーサルは続けていました。3週間経った頃に、とうとう公演中止の連絡がきて、その頃にはパブとかもロックダウンになってて。
もうバタバタの中で仲間ともお別れをしたんですけど、国から出れなくなるかもっていう噂が飛び交っていたので、その翌日には飛行機をとってすぐ日本に帰ってきました。GWも九州の方でWSを予定していたのが、無くなってしまいましたね。
―― 本当に、予測もしていなかった過酷な状況になってしまって驚くばかりですよね。ですが、いつかは絶対に平和な日常を取り戻せると信じて、涼子さんの今後の展望をお聞かせください!
踊れる間はプレイヤーとして踊り続けたいし、公演もしたいです。でも教えるのも好きなので、色々伝えていきたいと思ってます。
―― いいですねぇ公演! そんな涼子さんの、自分らしさや信念ってなんだと思いますか?
落ち込みすぎると良くないので、割と何でも楽観的に考えるようにしていて、嫌なことをすぐ忘れて引きずらないようにしてますね。いい意味で流したり、ポジティブに捉えることは大切だと思ってます。
なので外国人ダンサーの恵まれたプロポーションとか、いいなぁと思いはじめたらきりがないので、どうすれば自分のパフォーマンスに取り入れられるか、羨むより研究するようにしてます。
器用ではないから時間はとるんですけどねぇ。あとは、初心を忘れないことも大事にしています。
―― 勉強になります! 最後にプロを目指す後輩バレエダンサーたちへ、何かメッセージをもらえませんか?
これから沢山のステキな機会の中で、辛いこともあると思います。そんな時こそ「バレエが好き」という初心を思い出してください。その気持ちがきっと乗り越えていく助けになります。そして自分のペースを大切に、夢に向かって突き進んでください!
私はいろんな場所で出会ったダンサーや先生から、バレエはもちろんバレエ以外のこともたくさん学びました。
なので出会いとご縁は何より大切にしてほしいです。自分も知らない可能性を教えてくれたり、道を拓いてくれるのは出会いだと思います。
私も皆さんのことを思いながら頑張ります!
―― ありがとうございました!!
▼まとめ
小柄なスタイルからは想像もできないほど、パワフルでダイナミックな踊りで魅了する柳生涼子さん。大らかな雰囲気の裏側には、何事もポジティブに考えてプラスにしてしまうアイデンティティがありました。誰もが1度会ったら好きになる、素敵な笑顔のキュートで美しいバレエダンサー、柳生涼子さんの活躍に期待です!